アウシュビッツ収容所
正式名所
「アウシュビッツ・ビルケナウ
1940年から1945年までの間に約110万人の人たちが殺されたらしい
アウシュビッツの犠牲者数(推定)
ユダヤ人 100万人
ポーランド人 7万人
ジプシー 2、1万人
ソ連軍捕虜 1、4万人
その他 1、5万人
生還者はたったの10%
そしてヨーロッパ各地にいたユダヤ人達はこの列車でアウシュビッツへ連れてこられた
このトロッコにギュウギュウ詰めにされて、何日間もこの中にいて、環境は最悪だったそう
そしてやっと着いた場所
そこがアウシュビッツ
そこでされるのが選別
「労働者」 「人体実験の検体」
「価値なし」
そしてほとんどの人がこの価値なしとされてガス室へ送られた
シャワー浴びると言う理由に
そのほとんどが女性や子供やお年寄り
着てるものや持っているものは全て没収された
こんなにもたくさんの靴
小さい靴もあった
たくさんのカバン
そして大量のメガネ
殺されさた後はこの焼却場で焼かれた
一日に何百、多い時には何千もの死体を焼いたそう
そして労働者とされた人には過酷な日々が待ち受けていた
彼らはその時点で名前が無くなり番号をつけられた
そして労働者は収容所の増築だったり、過酷な環境下で働かされた
休み無しで働かされた人々は、日に日に弱っていく
すると倒れたり、ミスしたり
そういう労働者は殺されたそう
人がどんどん増えていくからいくらでも代わりがいたから
「ARBEIT MACHT FRET」 働けば自由になる
Bが逆さまになっているのは作った人のささやかな抵抗だと言われている
でも、昔はこれが正式だったらしい
そりゃあ間違えて作ったら殺されるからね
柵には鉄線が張られていて電流が流れていたそう
ここから逃げ出すことは不可能だったそう
たくさんの収容所があった
こんなにも広大な敷地にたくさんの収容所にたくさんの人が収容されていたなんて
考えられない
こんなに痩せ細った子供は見たことない
奥の壁に並べさせられて銃殺された
両側の建物の窓に付けられている木は音が聞こえないようするため
奥の建物が見張り台
そしてドクロの看板より先に行くと銃殺された
そして、収容者が寝ていた場所
40〜50人の部屋に何倍もの人が収容されていた
しかも、冬になったらマイナスにもなるこの場所で支給されていたのは
たった一枚の汚れた穴だらけの毛布
また、囚人の中からカポ(囚人の頭)を選んで、囚人が囚人を管理していた
そしてカポが囚人に対して虐待をしたりしていた
被害者の中に加害者がいた
だから、看守達はほとんど自分たちで手を出さなかった
そのため、看守達は自分たちは悪いことをしていないと思っていたそう
今回、僕は日本語ガイドしてくれる中谷さんという方にお願いしてアウシュビッツを見学した
個人でも見学することが可能だが、説明を聞きながら見学して本当に良かった
アウシュビッツ収容所
ずっと前から来たかった場所
そして今、実際にきた
本当にこの場所に来れて良かった
この場所で何百人と殺されたなんて信じられない
本当に信じられない
想像するだけで胸が痛くなる
でも、実際に起きたこと
この悲惨な出来事を受け継いでいかなければならない
二度とこのような悲惨なことが起きないように
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